中国山東省の省都 済南市
中国山東省の省都 済南市(チーナン)は戦前は日本人にとって忘れられない町である。この省都は南北の中国を結ぶ交通の要衝であり、商業や貿易が盛んな国際都市だった。昭和初期には2000人の日本人がいたという。その日本人が昭和3年に内戦に巻き込まれ、多くの在留日本人が殺されたそうだ。いわゆる「済南事件」という。このブログの筆者も実は戦前「済南市」で誕生している。終戦の時が5才だったが記憶はほとんどない。私の父は「済南事件」後の昭和12年頃移り住んでいたようだ。
なぜ、今、済南市なのか。中国関係のニュースをにぎわした薄煕来・元中国重慶市党委書記(64)に対する裁判が、前記した済南市(チーナン)で行われ結審した。産經新聞のコラム産経抄では「収賄や職権乱用などの罪に問われたのだが、なぜか公判はその舞台(重慶市)とは関係ない済南市で開かれた。薄煕来被告指示派による妨害を避けるためと言われた。それほど政治色の強い裁判だった。公判での薄被告は徹底的に戦っていた。
思いもよらない時期に生まれ故郷(と言って良いか)済南市(チーナン)の名前を聞いた。
私たちが製作中の映画、2回目の中国ロケが満豪開拓青少年義勇軍だった安曇野市の内田辰男さんと同行する。前回同行した吉田カメラマンの都合が付かなく筆者が同行することになった。久しぶりにカメラマンとして腕を奮う。山東省の省都 済南市(チーナン)とは遥か遠い旧満州(東北地方)に行くのも何かの縁か!
なぜ、今、済南市なのか。中国関係のニュースをにぎわした薄煕来・元中国重慶市党委書記(64)に対する裁判が、前記した済南市(チーナン)で行われ結審した。産經新聞のコラム産経抄では「収賄や職権乱用などの罪に問われたのだが、なぜか公判はその舞台(重慶市)とは関係ない済南市で開かれた。薄煕来被告指示派による妨害を避けるためと言われた。それほど政治色の強い裁判だった。公判での薄被告は徹底的に戦っていた。
思いもよらない時期に生まれ故郷(と言って良いか)済南市(チーナン)の名前を聞いた。
私たちが製作中の映画、2回目の中国ロケが満豪開拓青少年義勇軍だった安曇野市の内田辰男さんと同行する。前回同行した吉田カメラマンの都合が付かなく筆者が同行することになった。久しぶりにカメラマンとして腕を奮う。山東省の省都 済南市(チーナン)とは遥か遠い旧満州(東北地方)に行くのも何かの縁か!
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韓国 戦時徴用の訴訟
朝鮮半島の日本統治時代に日本で戦時徴用された韓国人が未払い賃金の個人補償を求めてきた訴訟で、当時の被告の旧日本製鉄が3500万円の賠償を命じられた。もし敗訴した場合被告側(現新日本製鉄)は賠償に応じる意向があることが産經新聞の取材で分かったという。(18日の産經新聞より)
かつて、日本のあちらこちらで韓国人、中国人たちの徴用があったことは事実であり、補償問題が金銭で処理される様なことが今後噴出することを危惧する。また、同紙は「請求権ををなし崩しに認めてしまえば、同様に中国からも問題が起きかねない」という。
先日撮影した木曽福島の宮田正士さんのインタビューの中でも中学時代の勤労奉仕をした際に中国人捕虜が木曽の御岳ダム工事で一緒に働いたそうだ。
*御岳ダムで宮田さんや中国人捕虜が造った発電所の水路
*中国人捕虜労働者の話をする宮田さん
宮田さんたちは捕虜たちと片言の日本語と漢字を交えての交流があったそうだ。ある日、その捕虜の一人が脱走、宮田さんたち中学生にも捕虜探しの命令があり銃を持たされ、発見した時は「誰だ!誰だと言って3回目に返事がなければ撃ち殺して良いと言われましたが、怖かったですね。その後、逃亡した中国人捕虜は捕まってしまいましたが。」とか。
*ダムの近くに「木曽谷殉難中国人慰霊碑」がある。それによると中国河北省から連れてこられた中国人は2014名おり、うち182名が亡くなったと書かれている。
*亡くなった中国人の名前が書かれた碑
かつて、日本のあちらこちらで韓国人、中国人たちの徴用があったことは事実であり、補償問題が金銭で処理される様なことが今後噴出することを危惧する。また、同紙は「請求権ををなし崩しに認めてしまえば、同様に中国からも問題が起きかねない」という。
先日撮影した木曽福島の宮田正士さんのインタビューの中でも中学時代の勤労奉仕をした際に中国人捕虜が木曽の御岳ダム工事で一緒に働いたそうだ。
*御岳ダムで宮田さんや中国人捕虜が造った発電所の水路
*中国人捕虜労働者の話をする宮田さん
宮田さんたちは捕虜たちと片言の日本語と漢字を交えての交流があったそうだ。ある日、その捕虜の一人が脱走、宮田さんたち中学生にも捕虜探しの命令があり銃を持たされ、発見した時は「誰だ!誰だと言って3回目に返事がなければ撃ち殺して良いと言われましたが、怖かったですね。その後、逃亡した中国人捕虜は捕まってしまいましたが。」とか。
*ダムの近くに「木曽谷殉難中国人慰霊碑」がある。それによると中国河北省から連れてこられた中国人は2014名おり、うち182名が亡くなったと書かれている。
*亡くなった中国人の名前が書かれた碑
北京の聖地・天安門広場
反日暴動が荒れ狂った中国では今日(22日現在)現在、何事もなかったように静まり返っている。いったい何だったのだろうか。
中国各地で発生、日系企業を襲撃するなど一部暴徒化した反日デモでは、多くの参加者が統一スローガンの書かれた横断幕を掲げ、「中国共産党万歳」と叫ぶ場面もしばしば見られた。。
新聞によると 「100元(約1200円)をもらってデモに集まった人もいる」とか。「全国のデモを支援する出資者がいるのは間違いない」と述べ、大規模デモが組織的に行われている可能性を指摘する。
柳条湖事件81周年の19日、反日デモは沈静化した訳が・・・なるほどと妙に納得をした。政府関係筋から一斉に「沈静化せよ!」の指令一発で何万人のデモが収束したという。
先にも書いたが、25年前に1985年(昭和60年)に中国本土で始めて開催された最初の国際ラリーイベントにトヨタスープラの活躍を映像記録する取材した。その後,1986,87年と3年間続いた。
*写真は第一回の1985年、北京の聖地とも言える天安門前に到着した時。隣の男性は通訳の王さん。
天安門広場は写真のように巨大な広場である。皇居前広場の何倍もありそうだ。私たちの取材班は真っ先に天安門に着いて、ラリーカーの到着を待っていた。広場には地方からきた観光客でごった返していた。表彰式はどこでやるのだろうか・・・この何万人もいる人をどうするのだろうか。
何と、時間が来たら公安警察がサイドカーで乗り付けて「サンケン!、サンケン!」ハンドスピーカー、長い警棒で、犬を追っかけるようにしてあっという間に表彰式が出来るようにする公安警察の力にはビックリした。
*パンク修理も人、ひとが寄ってくる。あきれた顔の筆者(1987年 三回目のラリー)
*飛び出した犬を避け、我々の車両が田んぼに落ちて大事故、ここも人、ひとであふれた。
(1987年 三回目のラリー)
この人たちのお陰で事故車両を道路まで出してくれた。幸いけが人なし。犬が一匹死んだが・・・
中国各地で発生、日系企業を襲撃するなど一部暴徒化した反日デモでは、多くの参加者が統一スローガンの書かれた横断幕を掲げ、「中国共産党万歳」と叫ぶ場面もしばしば見られた。。
新聞によると 「100元(約1200円)をもらってデモに集まった人もいる」とか。「全国のデモを支援する出資者がいるのは間違いない」と述べ、大規模デモが組織的に行われている可能性を指摘する。
柳条湖事件81周年の19日、反日デモは沈静化した訳が・・・なるほどと妙に納得をした。政府関係筋から一斉に「沈静化せよ!」の指令一発で何万人のデモが収束したという。
先にも書いたが、25年前に1985年(昭和60年)に中国本土で始めて開催された最初の国際ラリーイベントにトヨタスープラの活躍を映像記録する取材した。その後,1986,87年と3年間続いた。
*写真は第一回の1985年、北京の聖地とも言える天安門前に到着した時。隣の男性は通訳の王さん。
天安門広場は写真のように巨大な広場である。皇居前広場の何倍もありそうだ。私たちの取材班は真っ先に天安門に着いて、ラリーカーの到着を待っていた。広場には地方からきた観光客でごった返していた。表彰式はどこでやるのだろうか・・・この何万人もいる人をどうするのだろうか。
何と、時間が来たら公安警察がサイドカーで乗り付けて「サンケン!、サンケン!」ハンドスピーカー、長い警棒で、犬を追っかけるようにしてあっという間に表彰式が出来るようにする公安警察の力にはビックリした。
*パンク修理も人、ひとが寄ってくる。あきれた顔の筆者(1987年 三回目のラリー)
*飛び出した犬を避け、我々の車両が田んぼに落ちて大事故、ここも人、ひとであふれた。
(1987年 三回目のラリー)
この人たちのお陰で事故車両を道路まで出してくれた。幸いけが人なし。犬が一匹死んだが・・・
静まりかえる中国大使館
厳戒態勢の中国大使館に行ってみた。確か、20年以上前だったか、日中友好20周年の友好音楽会を主催するために中国大使館に「協力」を要請に大使館の文化部に行った事があった。
9月20日、日比谷線の六本木駅から巨大な六本木ヒルズを見ながらテレビ朝日通りのカンカン照りの中を歩いた。
*バリケードがすぐに作られるように警官が待機していた。
*大使館の塀には中国の名所旧跡が描かれていた
*意外に静まりかえっていた大使館正門
写真を撮っていたら早速警官が寄ってきた。若い警察官が職務質問をしてきた。「何を撮影してますか、人物が写ってますか」私・・「いや、警察官は写ってますが。」警察官「大使館を見にわざわざ来たのですか」私「日本人だったら、誰もが中国大使館はどうしているのだろうか・・て思うでしょう。来ちゃ〜行けないのですか」警察官「・・・」
このテレビ朝日通りは広尾に抜ける普段はおしゃれで気取った人種が闊歩する通りだ。気のせいか目につくのは警護の警察ばかりだ。
9月20日、日比谷線の六本木駅から巨大な六本木ヒルズを見ながらテレビ朝日通りのカンカン照りの中を歩いた。
*バリケードがすぐに作られるように警官が待機していた。
*大使館の塀には中国の名所旧跡が描かれていた
*意外に静まりかえっていた大使館正門
写真を撮っていたら早速警官が寄ってきた。若い警察官が職務質問をしてきた。「何を撮影してますか、人物が写ってますか」私・・「いや、警察官は写ってますが。」警察官「大使館を見にわざわざ来たのですか」私「日本人だったら、誰もが中国大使館はどうしているのだろうか・・て思うでしょう。来ちゃ〜行けないのですか」警察官「・・・」
このテレビ朝日通りは広尾に抜ける普段はおしゃれで気取った人種が闊歩する通りだ。気のせいか目につくのは警護の警察ばかりだ。
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